両親は両方とも存命なのですが、父の方はもうだいぶ長いこと肺気腫を患っており、呼吸の難しさから常時酸素の吸入を続けていて、ほぼ寝たきりです。その面倒を母が見続けていたのですが、その母も今年3月頃の入院からめっきり身体が弱くなった、どうにも動けなくなったと自認し周囲にも訴えるようになっていました。
で、前々から「どうしますか」と訊いてくれていた病院に、12月に入り改めて相談したところ、「奥さん(母)ももう限界やろうからひとまずお父さん(父)はウチに入院してもらって、次入れる施設を探そう」という運びになった模様。
経緯については適宜教えてもらっていたんですが、今しがた病院に連れって行ったと母から連絡がありました。父は病院が嫌いで、今度のこともだいぶ揉めたようですが…自分で自分の世話ができず、世話をしてくれていた人も弱っていくとなると、最後はもう自宅には居られません。排泄にも介助が要るほどに弱りきっておりますので…。
老老介護の行き着く先という感じです(´・ω・`)。
さらに入院時の検査では「これはもう施設には入れんかもしれん」と医者から告げられたそうで…。まあ、6年ほど前に「もう余命幾ばくもない」と連絡を受けて東京から急ぎ顔を見にいったこともあるくらいですから、ここまで長く持ったのがむしろすごいなと内心思っております(かかりつけ医も驚いている)。
母の献身と父の生き運ですね。
毎回顔を見にいく時は「どれだけ弱ってるんだろう」と不安になるんですが、会ってみると意外なほどに元気そうに見えるのが常でした。しかし身体の方はボロボロのようです。
長く生きるのは大変なことですしそれが果たせるのは素晴らしいことなんでしょうけども、それも元気であればこそ。誰かの世話にならないと生きていられないような状態では、結局、親しい人、愛しい人の負担になっていく。
生きるのも難しいですが死ぬのも難しい現代社会という思いがします。自宅で死んで気づいてもらえるのは幸せな部類でしょうか。