
二月下旬頃に大腸炎で入院していた母(と、介護が必要な状態のため共に入院となった父)が昨日退院して実家に戻りました。
自分はといえば、何も食べるものがないということで、事前に連絡を受けていた食料品を買って実家に届けてきました。こんなことぐらいでしか役に立たない不甲斐なさ(´・ω・`)。
今治から少し山へと向かった玉川町周辺は長閑な近郊という体で、畑の端には菜の花が黄色く彩っていました。道から見える梅の木には白い花がいっぱいに付いていました。
春めいてきております(´ω`)。
結局入院中はコロナの影響で面会が叶わず、久しぶりに見た両親は、どちらも年末年始に見たころと変わらない感じがしましたが(父は思った以上に元気に見えた)母の歩く姿はやはり(動けなくなってきてるなあ…)と 感じます。
せめてもの親孝行に、まずは車に乗れるようになって母が出かけざるを得ないときの脚くらいにはなりたい、と思ってはいるのですが。お金がかかることなので正直ためらってばかりなのです('A`;)最近 株も調子アレですしね
ボクが到着した際には、ちょうど在宅介護のヘルパーさんたちが入れ替わり立ち替わり訪れている最中で、別に孤独に過ごしている訳ではないんだな…というのは少し安心しました。みな気持ちの良い方々で母も会話を楽しんでいるようでした。今やこうしたサービスが介護の基本を成している訳ですね。これがなくなったら大変なことになってしまう。というのは、歳を取ってくればおのずと見えてくる世界(´・ω・`)。
現役世代との負担調整は必要かなと思いますが、なくなっては困ります。
ボク自身はまあ… 自活できなくなったら死ぬまででしょう。助けを求めても気づかれずに死にそうだし、むしろ後になってもそれがすぐ発見されればいい方でしょう。
運がよければ救急搬送されてそこで死ねるでしょうか。
人間、思ったほどすんなりと死ねる訳ではないのが難しいところですね。独り暮らしの高齢者で障害が残るような病で生き存えてしまったら、それこそ自分にも周辺にもムダや迷惑がかかってしまいそうで。まずはそうならないように健康には留意しつつ、筋力維持にも努めています。が、いずれどうにもならない日は訪れる訳で…。
そうなる前に、自分の人生は自分で長さを決められる仕組みが制度化されることを望んでいます(´・ω・`)。せめて、人間らしく